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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅰ Zagrebの夜

12月28日(Mittwoch)

冬休暇に今回は『Croatia/クロアチア』へ~airplane

Croatiamap

『Croatia/クロアチア共和国』の面積は、日本の九州の1.5倍ほどの小さな国ですが、アドリア海の海の恵みを受け、沿岸部では新鮮な魚がとれることもあり漁業が盛んです。そしてアドリア海を挟んで対岸の国『イタリア』の影響も多く受けているので、それは洒落たおいしいシーフード料理がたくさん。

そんなクロアチアが誕生するまでには、たくさんの傷跡が刻まれているのです。

汎(はん)スラブ主義の思想pencil

この運動が始まったのは、ハウプスブルク君主国(現在のオーストリア・スロベニア・ハンガリー)のハンガリー側で、『ハンガリー民族運動』が勃発しました。そしてハンガリー領内に住むスラヴ人に対して抑圧し、これに反発したスラブ人達が「スラブ人よ!永住の地を求めて一つの地へあつまるのじゃ~」という具合だったのかは、わかりませんが?ハンガリーからの分離を果たすべく、不可能を可能にした思想を貫いたのです。

ハウプスブルク帝国vsセルビア王国pencil

第一次世界大戦の発端・・・?高校の社会科の授業で「サラーッ」と習いましたが・・・。
確か、オーストリア帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺された『サラエボ事件』が発端だったですよね。

第一次世界大戦は、1867年~1918年のハウプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)とセルビア王国の戦いから始まりました。セルビア王国は「汎スラブ主義思想をを貫き、スラブ民族だけの国家」を目指していたのですが、帝国が「そんなの許さん!」てなわけで・・・

『皇太子が殺害された』ことに、何より憤慨したハウプスブルク帝国がセルビア王国に宣戦布告pout そして、それぞれの国に味方した国々がどんどん参戦していき『第一次世界大戦』へと発展しました。

自分たちのことは自分たちでpencil

第一次世界大戦の結果は『セルビア王国』にとっては多大なダメージを受けました。ですが世の中が帝国主義を反省する事で「各民族のことは、それぞれの民族間で決めたらいいじゃないか!」と、独自民族決定権と呼べばいいのかなぁ?ある意味「面倒なことは自分たちで考えて決めろ~」的な流れのきっかけトモなりました。

ベルサイユ条約で『民族自決の原則』も取り入れられ「汎スラブ主義実現」が目の前に~

これまでの争いが一転し「チャンス到来」したのです。

イスラム系・ゲルマン系が支配していた帝国より1918年に南スラブ系の民族が独立し「クロアチア・スロベニア・セルビア・モンテネグロ」の4地域民族の集まった王国が誕生し、1929年に『ユーゴ(南)スラビア(スラブ)王国』と国名変更されました。

Ugo
ユーゴスラビア王国は次々に名前を変え、政治混乱は続きます。

怒るクロアチアpencil

安息の国を求めていた人々は、1931年の中央集権主義と国王独裁を強めた『新憲法』で連邦制・地方自治を求めるクロアチア人の不満は強まり、ついには「ブチ切れ」てしまいます。

1939年。クロアチア自治州として設立することで一時期は妥協しましたが、国民はそれだけでは納得せず、クロアチアを完全独立させる働きが加速されていきました。

独立宣言pencil

もともとから反セルビアだったクロアチア。そして、ユーゴスラビア連邦の中でも「西外れ」にあるスロベニアはドイツに近いだけにドイツ人に似た「勤勉」で「秩序的」な気質。近隣国の影響もあって彼らは経済的にも恵まれていました。働き者のスロベニア人たちは安定した収入を得ますが「連邦国の一員」ということで、マケドニアやコソボといった「貧しい地域」に金品を分け与えることに従来不満に思っていました。

そしてついには1991年。クロアチアとスロベニアは「独立宣言」の声を発したのです・・・。

ドロドロした戦いpencil

ユーゴスラビア連邦国にしても、そんな面白くない話はありませんでした。2国の話には耳を傾けず、連邦軍隊がまずはスロベニアに侵攻してきますが、甘んじていたユーゴ軍はいとも簡単に押さえつけられ、わずか10日間の内戦で終結しました。これが「十日間戦争」です。

一方、クロアチアにもユーゴ連邦軍は懲りずに侵攻し、砲弾を浴びせ海岸線の街を破壊し、4年もの間内戦は続きました。クロアチア自治州に住む多くの人たちの命は失われ、生き残った人たちの心も大きく傷つられる結果となりました。

ですが国連がクロアチアの独立を認め、クロアチア側は国内の一部をセルビア人居住区として分離してセルビア共和国へ併合することを認めるという形で合意します。

そして1995年に漸く、クロアチア紛争は終結しました。

旅日記shoe

呑気に少女時代を過ごしていた頃に、よその国ではこんなことが起こっていたんですね~。その後、2003年にユーゴスラビアは消滅しますが、それまでにいくつもの内戦を続け、大きな戦争に発展します。そのことはまた勉強をしておきましょう・・・

クロアチアの生い立ち?を少しつかんだ頃、飛行機はゆっくりと旋回しながら首都の『Zagreb/ザグレブ」に降ります。

ザグレブはメドヴェドニツァ山南斜面とサヴァ川の北岸に挟まれた首都で、それは寒い寒い~。荷造りの時「クロアチアは暖かい」との夫の言葉を信じ、身軽に出てきてしまった私の判断がこの後悔いる結果に!

今年の抱負 其の1pig

自分の信念を貫け、人の言うことに惑わされるな!

に決めました。自分の決めたことに反省はしても、後悔は絶対にしません!

さらには空港からホテルに向かう道も「濃い霧・・・」

マイホームをホテルのようなスタイルにしている「この日の宿」。オーナーは気軽でフットワークも軽い感じの人。ドイツ語での会話ができるので「ラッキー」でした。

食事ができるレストランを訪ねると、そこまで車で案内してくれ、しかもレストランの方に「食事が終わったら連絡を~」とまで頼んでくれるという、これまた至れり尽くせりの旅の初日。

クロアチア人好感度Up

クロアチア初日のごはんrestaurant

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何故かオランダビールの『Bavaria』beer と、ひき肉に香草を混ぜてコネ、こんがりと焼き生玉ねぎのみじん切りをかけサワークリームのムースを乗っけた『Ruža/セルビア語でバラの意味の料理』

お隣のテーブルのお客さんの一人が、ケルンの大聖堂の近くでコックの仕事をしている~と話しかけてくれ、レストランのお客さんまでもが「外国人旅行客」に対して、さりげなーく、とても楽しく場をつってくれてます。

そして、お店の雰囲気が「おいしい料理」をさらに「おいしく」してくれます。

人に!料理に!クロアチアの魅力が高まります。

翌日はザグレブから車で5時間ほど南下し、古代都市の残る街『Split/スプリット』へ~

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