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ドイツを超えた旅~Poland編    平原に住む人の街

5月18日(Freitag)

これまたドイツとの国境からほど近い街『Legnica(レグニツァ)』に向かいました。

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Bolesławiecを車で南下。

左右の視界には、どこまでも畑が広がります~。

単線を電車がゆっくりと走り抜ける間、踏切には10分間ほど遮断機が下され、踏切通過待ちの車は「のんびり」と、電車が通り過ぎるのを待ちます~。

・・・・・右手指で、ハンドルを小刻みに、しかも不規則なリズムをタイプしている夫bomb

イライラしないでのんびり行きましょうよぉ~

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旅行本にも街の名前が載っていないので、多くはわかりませんが・・・

街の歴史~book

7世紀の古い書物に街の起源がわずかに記録が残されていますが、街の名前が記され始めたのは11世紀初頭からですが、その頃は『Lignica(平原に住む人という意味が語源)』で、この街は呼ばれていました。

1241年にはモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍 VS ドイツ&ポーランドとの連合軍がこの地でぶつかり合う『ワールシュタット(死体の山)の戦い』が起こりました。

14世紀には『神聖ローマ帝国』に仲間入りし、ボヘミア王国の支配下となり『レグニツァ公国』が誕生し、この街は重要都市として最盛期を迎えます~。

その後の歴史もマダマダ複雑に・・・

でも、頭が混乱しそうなので「解読中止!」

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第2次世界大戦後の街~book

第2次世界大戦後にナチス・ドイツは敗北し、この街も1945年の『ポツダム会談』でポーランドの領土となりました。その僅か2年の間にドイツ人の住民たちはこの街を強制的に離れる指令が出され、この地を退去しました。同時に多くのポーランド人が移住しはじめ、そのため街の名前を『レグニツァ』に改名しました。

ですが、戦後より1990年までの間、ポーランドには『ソビエト軍本部』がこの街に置かれていたので、ソビエトの思想が市民たちの生活に強力な影響を与えていました。

本当の平和がこの街に訪れたのは、ソビエト軍(ロシア軍)がレグニツァを完全に去った1993年で、その時この街に置かれていた「核弾頭」や「中距離ミサイル」はロシア本土に一緒に引き揚げられたと云われています。

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レグニツァ大聖堂

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街で見かけた銅像~「西洋の道化師?」トランプのジョーカーのようにも?

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11世紀より、小高い丘の上でレグニツァの街を見下ろし続け、周囲を堀で囲ったように建てられた『レグニツァ城』

建築当初よりレンガ造りのロマネスク様式の塔を持ち「ポーランドで最初に石の塔を持つ城」として、名前を残しています。

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世紀を超えるごと城主も変わり、所有者の希望で住宅や礼拝堂などが加えられていきました。

そして現在は教員養成の大学として、若者たちの勉学のために利用されています。

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正門前のベンチで、爆睡する若者~sleepy

勉強でお疲れでしょうか?

どんな夢をみているのかなぁ?

風邪をひかないでくださいね・・・

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