カテゴリー「ユネスコ世界遺産巡り日記」の記事

ドイツを超えた旅~San Marino編 世界で5番目に小さな国

『旅3日目』季節を2つ通り超えての旅日記・・・

2012年12月23日(Sonntag)の出来事。

娘の14歳の誕生日の朝~Bolognaのホテルで朝食のビュッフェで食べ物をお皿いっぱいに盛り付けている時...2人の女性に片言な日本語で声をかけられました。

1人は関西から旅行に来られている日本人の方。

そして、Cordenonsからボーイフレンドと一緒に、日本人のお友達に逢いに来たイタリア人の20歳代のそれは可愛らしい女性。

イタリアの方で「日本語が話せる方」=「アニメが好き♡」の方が多いことを、イタリア人の友人に聞かされていたので「アニメ好き」の娘を交えおしゃべりを!!そして別れ際にメール交換とFacebookお友達申請の約束を交わした娘~「何よりのお誕生日プレゼントだった」と喜んでいました。

旅のちょっとした出来事でした♪

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さて、ボローニャを後にして目指すは世界で5番目に小さな国&生存する国の中で世界で一番古~いの共和国の『Serenissima Repubblica di San Marino(サンマリノ共和国)』に向かいます。

リヒテンシュタイン公国・アンドラ公国・ルクセンブルク大公国と巡りましたが、ここイタリア周辺には外してはいけない小国が全部回れるといいのですが~!?

サンマリノ共和国の起源pencil

4世紀初頭に『マリーノ』という名前の石壁職人がローマ皇帝アウグストゥスによるキリスト教迫害を逃れ辿りつき、キリストの組織をつくったという伝説があります。その為この地が『聖(サン)マリーノ』と呼ばれるようになったそうです。

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山頂に向かって車は進みます!! 国境も何ら変わらない普通の道路標識でしかないけれど、車内で「やった~ぁ」と歓声を上げる私の後ろの席では、娘の寝息が・・・いつもながらどこでもドア~ですね。

国境を越えサンマリノの中心部に向かいますが、山頂に向かうウネウネした上り坂を進みます。ココは山手線の内側と同じ大きさらしいですが・・・!?

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ウネウネ上り坂の正体は、標高700mの山頂上にあり!

共和国自体がユネスコの世界遺産crown

多くの戦いの中で、侵略もされずに1700年もの長きにわたってこの小さな独立国を維持できたのも、この立地条件で『要塞』があったためと言われています。そのような理由から、城砦をはじめとする全ての歴史的建造物は当時のまま残っていて、2008年にはサンマリノ旧市街がユネスコの世界遺産に登録されました。

サンマリノで出会えるsign02

コレクター人気のひと品に、ココ独自に発行される記念切手があります。そして、もう一つはユーロのコイン!! サンマリノ共和国でも『EUコイン』を「発行可権利」を持っていますが、造幣量がとても少ないので、これまたサンマリノコインは希少価値があり、わざわざ購入目的で買いに来る観光客もいるとか??

実は、夫も購入希望者でしたが、お金をお金で買う・・・なんてねぇ~。結局値段と相談の上「諦めました」。ものすごーく運が良ければ、お土産を買った時のお釣りの中に『サンマリノコイン』が掌に乗せられるかも??!!

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入国スタンプをゲットしましょうgood

旅の楽しみの一つでもある入国スタンプなんですが、ドイツ近隣諸国を旅しても溜まらないんですよね~。そこで町の観光案内所で押してくれることを聞きつけ、パスポート持参で早足で向かいますshoe

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ガラス張りの受付窓口の係りの方に「スタンプを押してください~♡」と目的を伝え、手数料の『€5』を支払い、パスポートを渡すだけ!サンマリノ共和国の紋章が描かれた切手or収入印紙みたいなものをパスポートに貼りつけ、スタンプを「ガしゃ=っ」て押してくれました。

特別なお土産は買わなかったけれど、この入国スタンプが唯一のお土産になりました♪

旅はまだまだ続きます。

この日の宿泊地ローマを目指しGooooooorvcar

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅴ 指令④城壁の島へ潜入!

12月31日(Samstag)

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『Split/スプリット』から27Kmほど北西に位置し、クロアチア国本土とアドリア海のショルタ島との間に浮かぶ小さな島『Trogil/トロギール』に行ってきました。

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『Trogil/トロギール旧市街』。城壁で囲まれた島全体が1997年ユネスコ世界遺産に登録。

トロギールの起源pencil

その昔、トロギールを含む周辺の島々には「イリュリア人」が先住民として暮らしていました。

トロギールはスプリットよりも少し歴史が古く、紀元前385年にヴィス島から「古代ギリシア人」が植民にやって来て、ここに「植民都市」を築きました。

繁栄期の植民都市pencil

ダルマチア郡のアドリア海の海の恵みと、大きな港をもつ都市『トロギール』は、移住して来た古代ギリシャ人たちで賑わい、どんどんと栄え発展していきます~その後ローマ帝国の支配下に置かれますが、港町は変わりなく栄え続けます。

トロギールの運命~pencil

クロアチアの歴史書より~

  • 9世紀 ⇒ ローマ帝国支配下に~。
  • 11世紀 ⇒ 司教区創立されるが1828年に廃止。
  • 1107年 ⇒ 町として自治権を授けられる。                               (ハンガリー・クロアチア王カールマーン1世の命により)
  • 1123年 ⇒ サラセン人に「町全域が征服」され破壊!
  • 12~13世紀 ⇒ 短期間で「復興」経済繁栄を果たす。
  • 1420年 ⇒ ヴェネツィア共和国支配下に~。
  • 1797~1918年 ⇒ ヴェネツィア共和国崩壊。                        (ハプスブルク帝国に吸収)
  • 1806~1814年 ⇒ ナポレオン戦争でフランス軍に占領。
  • 第一次世界大戦後 ⇒ ユーゴスラビア王国の一部に!
  • 第二次世界大戦中 ⇒ イタリアに占領。
  • 1944年 ⇒ イタリアより解放。
  • 第二次世界大戦後 ⇒ ユーゴスラビア社会主義国連邦共和国に吸収。
  • 1991年~現在に至る ⇒ ユーゴより独立したクロアチアの一部と~。

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離れ小島となったトロギールpencil

植民都市として建設が進められている当初は、この島はクロアチア本土と陸続きでした。

ですが中世期・・・数奇な運命のこの町は、敵の侵入よ防ぐための「生き残っていく手段」として、クロアチア本土との間に『水路』をつくったため「橋で結ばれた離れ小島」となりました。

旅日記shoe

本日はそれは見事な青空♬

旧市街の内は狭い路地が入り組んでいるので、島の入り口にある駐車場に車を止めて街中散策は歩いて行きましょう・・・

旧市街は東西500m、南北300mのそれは小さな島~。島を一周するにも1時間ほどでOKとか?

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本土からの石橋を渡るとすぐに、町の守護聖人でもあり12世紀の司教『イヴァン・ウルスィニ』が町を見守るように立っている『北門(陸の門)』が待っていてくれます。

以前は防衛のため、本土から渡るための橋はなかったそうですが・・・15世紀に城壁が築かれ、さらに17世紀には城門がつくられました。

この門はその昔~「日の出とともに開門」され「日没とともに閉門」されていて、たとえトロギールの住人であったとしても町に入ることはできなかったとか・・・?締め出しをされた人は「野宿」をしたんでしょうかねぇ?

「いえ!いえ!」そんな人のために、門の傍に宿泊施設を設けていたそうで・・・。

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門から旧市街へと入るとすぐ!町の中心である『イヴァナ・パヴラ広場』があり、聖ロヴロ大聖堂(左)・市庁舎(中)・時計塔(右)が、広場を囲むように建っています。

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『トロギール大聖堂(聖ロベロ大聖堂)』

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大聖堂の正面入り口の装飾は、ヴェネチアのサン・マルコ寺院の玄関のレリーフ製作にも携わった彫刻家『ラドヴァン』の作品で、入り口左右にはライオン像(何ともお人よしそうなライオン像でしょう~)があり、その上には、右側にアダムさんと左側にイブさん(隠す位置が逆なのでは?)の彫刻が施されていて、それは素晴らしいロマネスク様式の入り口です~。

うっとり~

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小さな島の小さな町~

建物が「これぞ!」とばかりにひしめき合って連なり「ギュウギュウ詰に」建っていて、その上、建物の間の石畳の道も幅が狭く「正規の道」にもかかわらず「裏路地」のよう。

昼間でも薄暗い・・・。一人で歩くのはなんだか心細くなりそう。

だけど、宮崎駿の「猫の恩返し」のに出てくる風景のような~味のある路地です。

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平らで表面がツルツルしている大きめの石の道。何のヘンテツもないような石畳の道・・・のように思えますが、道が「V字型」に造られていて、水はけを良くする構造に~。これなら「大雨が降っても」道の両脇に建ち並ぶ建物の中には水が入ってこないrain・・・ってわけですねぇ。

ここに暮らす人の工夫が窺えます。

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15世紀に造られた『カメルレンゴ要塞』は、ヴェネツィア共和国支配時代に、それまであった塔を改築して砦として造りり変えられたものです。

1420年のヴェネツィア共和国支配時代の最中、トロギール市民たちは支配の在り方に「反感」を持っていたため反乱を起こしていました。そのため、遠く対岸からの「外部侵入者」から町を守る目的と、内部反乱からも守るために威嚇し続けてきたとか?

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『聖マルコの塔』は『カメルレンゴ要塞』と同じ時代に「オスマントルコ帝国の攻撃」に備え建てられたものです。『カメルレンゴ要塞は海側の守砦』の『聖マルコの塔は陸の守砦』として使われました。

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海岸線沿いは見事に整地され、城壁と近代的な住宅が建ち並び、そして道沿いには何本もの椰子の木が植えられ「南国の雰囲気が~」(椰子の木!というだけの単純な発想です)

123100014_3町の南門(海の門)を抜け、およそ50mのチオヴォ橋を渡りチオヴォ島に向かいます。でもこの橋・・・「かなりやばい感じ!」と云うのも、車が通る度に橋が大揺れ!しかも「ギシギシ」軋む音が~sweat01

「お願い!揺らさんでぇ」cryingと年甲斐もなく騒いだ私。すかさず娘が私の元から離れていったのは言うまでもありません!

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『チヴォ橋』の真ん中辺りで、橋の揺れに大股開きで必死に耐え、トロギールの絵になる風景を

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苦労して渡ったチオヴォ島は

「つまんない・・・」

「何もない・・・」

変わった事と云えば、物乞いのおじいさんが「お金をくれ~」みたいなことを言って、両手を差し出してきたけど「無視」してたら、大きく「チッツ・・・」って、舌打ちされてしまった。

大晦日だからあげるべきだったかな?とも、思ってみたけど・・・

気を取り直し、再び「揺れる橋」を渡って戻り駐車場へ~

島内観光所要時間⇒およそ3時間。

足は「パンパン」に浮腫んでいるけど、私にしては珍しく体力的にはまだ余裕!母なる海の力のお蔭なのかしらぁ~海の匂いは「やっぱりいいな~ぁ」

そんなこんなのトロギール散策でしたが、「城壁の島へ潜入」を充分に楽しみ、満喫しました

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅳ 指令③古代都市へ行け!

12月30日(Freitag)

『Split/スプリット』の旧市街地は古代都市の残る街で、それは貴重なローマ時代の遺跡の数々が残っています。

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港町スプリットの旧市街地の一角にある魚広場では、アドリア海のサバ・イワシ・アジ・鯛などの新鮮な活きのよい海の幸を毎朝売っています。温泉療養センターの前で魚市場は開かれているので、硫黄の匂いで魚の生臭さを「消臭しているとか?」
  

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ローマ皇帝『ディオクレティアヌス』の誕生までpencil

西暦284年~305年当時、ローマ帝国の皇帝として在位していた『Diocletianus/ディオクレティアヌス』は、元奴隷の父を持ち幼少名は『Diocles/ディオクレス』と呼ばれていました。

彼は元奴隷の父親を持つ身・・・そのため差別と偏見をもたれ軍隊では大変苦労を重ねます。ですが、誠実に任務をこなし『帝国ヌメリアヌス親衛隊長』まで登りつめました。

283年に当時のローマ皇帝『ヌメリアヌス』が殺害されたあと、『ディオクレティアヌス』は将兵から一気に駆け上がり、皇帝職を引き継ぎそして軍人帝国時代をまとめあげていきます。

彼の思想pencil

ディオクレティアヌスはローマ帝国の再建に力を注ぎ、ローマ帝国はどんどんと大きくなっていきます~。そして、彼一人だけではローマ帝国を隅々までまとめていくことが難しくなっていきました。そこで考えられたのが『テトラルキア政治形態(四分割分担統)』を取り入れ、政治をくみ上げていったのです~。

現在の政治体制の基盤を創った「発起人」なのかもぉ?

また、君主制(親の持っている地位・肩書き・職業などを子孫が引き継いでいくこと)を推奨し、取り入れるよう働きかけますが、後世この君主制のおかげでローマ帝国が乱れていくとは予想もしなかったことでしょう・・・

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ご隠居さんへ転職pencil

西暦305年にディオクレティアヌスはローマ皇帝を退任し、ご隠居さんとなります。

『水戸黄門さま』は御一行様と「お国直しの旅」でしたが、彼は皇帝を退任する10年も以前より隠居後の安住の地を探し、巨大な宮殿を建てさせていたのです。

ですが完成後、長~い間放置していた間に近くの『サロナ』に住んでいた人達が異民族からの攻撃を逃れ、神殿周辺や内部にまで入り込んで住み着いてしまったそうで・・・

それが、クロアチアのスプリットです~。

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宮殿内博物館の古い形を描いた復元図によると~宮殿の南側は海に面し200メートル四方を囲む城壁で守られていたそうです。(今はきれいに埋め立てられ、椰子の木が植えられ遊歩道になっています。)

第二次世界大戦時にはナチスドイツやイタリアにクロアチアも従属させられていたため、連合国から攻められ砲撃を加えられててしまい、街は「壊滅的な被害」を受けました。ですがその後修復され今の形として残っています。

旅日記shoe

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狭い路地があちこちに・・・まるで迷路のようですが、住んでる人たちはもちろんどこを「どのように通ればどこに行ける」って分かってるところがスゴイ!

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なんだか「不思議な空間」

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ドイツとは違う「石畳」だけど、石の表面はつるつるしていてこの日はあいにくの雨・・・雪道を歩くように「一歩ずつ用心」して親指に力を込めて歩きました。

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1979年。旧市街のすべての史跡がユネスコ世界遺産に登録されています。

宮殿は「霊廟だ!」とも言われているようですが、今はその宮殿内に様々なお店や住宅が建ち並んでいて、ローマ帝国時代からの城壁を支えていた石柱の一部を利用して、銀行の支店として利用されていたりするんですよぉ。

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宮殿内の民族博物館を出て、『銀の門(東門)』を抜けると青空市場が立ち並びます。

水分補給がてら、オレンジを1㎏購入・・・

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『金の門(北門)』を目指して歩いていると何やら撮影中!

どうも結婚記念写真を撮影中のようですねぇ~。

こんな歴史ある神秘的な場所で「思い出の写真」なんて

素敵

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『グルグール・ニンスキの像』に辿り着くと、雨雲も消え青空が~

そう云えばここまでの道はアーチ型の石が覆う路地が続き、空を見ていなかったなぁ・・・

10世紀にスプリットでクロアチアの宗教会議が開催されましたが、その時「教会でのスラブ語の使用を禁止令」が出されました。その命令撤回を求めたのが「ふざけたような名前の持ち主」グルグール司教だったのです。

そんな彼の功績をたたえ、1929年に彫刻家『イヴァン・メシュトロヴィチ』によってつくられました。

彼の左足親指に触れると「幸運」が訪れるとか~誰かにペディキュアしてもらったんですねぇ?さり気なく足元のお洒落を楽しんでいます~

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歩き疲れたら、やっぱり「甘いもの~」

濃厚なチョコレートが口の中で「ジンワ~ぁり」と溶けていきます。そして、疲れが薄紙をはがすように抜けていきます。

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魔女の住む街Goslaへ~

ランメルスベルク鉱山博物館を後にし、ゴスラーの街へ再び!

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『Kaiserpfalz/皇帝居城』

ゴスラーの街の紀元~book

922年にドイツ国初代の国王(ザクセン朝ドイツ国王)『ハインリヒ1世』によってゴスラー市が誕生しました。そして王の世代が変わり11世紀に『ハインリヒ3世』の手でゴスラーに皇帝居城が建設され、その後は神聖ローマ帝国の主要な都市としてますます発展していったのです~

皇帝居城内を見学してきましたが、皇帝の間に直接描かれている「壁絵」はそれは見事なもので、皇帝の墓が置かれる地下礼拝堂へ向かう扉の上壁には、グリム童話の「眠り姫」のシーンが描かれていました。(館内写真撮影は禁止だったのでお見せできずに残念です~)

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小高い丘に建つ『皇帝居城』から街を見下ろすと、いつも見るドイツの街並みの風景と違っていました。建物の壁や屋根にはこの土地で採掘された鉱石を使っているようで、茶や濃い灰色の家々が建ち、魚の鱗のような壁や屋根が多くみられます。

今にも魔女がホウキに乗って飛んできそうな~。

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皇帝居城からマルクト広場に向かう途中に小川が流れていて、小川に沿って右折し進むと「水車」が音をたててまわっています。

前日の夕刻、ココで日本から観光にいらしてたご夫婦と出会い少し立ち話を~そして「お世話になった方へのお礼にわたされている」という、貴重な新発売の『アポロチョコ』のおすそ分けをいただきました。

可愛らしい赤を基調としたパッケージのアポロチョコ。「ご馳走さまでした」

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水車を背にして通りを進むと、3階部分がせり出した不思議な造りの木組みの家が~「倒れるんじゃないかなぁ?」と心配だけど・・・

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ドイツ国内のクリスマス・マルクトは12月23日までに終わってしまい、クリスマスは家族だけで静かに過ごしますが、ゴスラーの街ではもう少しの間、クリスマス・マルクトが楽しめるとあって、地元の人はもちろん、観光客でいっぱいでした。

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マルクト広場の東側の建物の屋根には仕掛け時計があり、9:00から3時間おきに4回、鐘で奏でるメロディーが流れると同時に人形が現れます。そしてランメルスベルク鉱山での採掘の様子をみせてくれます~

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マルクト広場の中央には噴水があり、そのてっぺんには黄金の冠をかぶった『帝国の鷲』が装飾されています。

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そして、魔女の街ならではのお酒~(魔法はかかっていないと思いますが・・・)

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ホウキを持った魔女がカフェの前で待ち伏せしています・・・

長い冬が終わりを告げる4月末ころ~魔女たちは冬の終わりのお祝いに悪魔と一緒にパーティを楽しむ為にブロッケン山に集まるそうで~。

是非ともその頃、魔女と悪魔の合コンを観てみたいですね~。

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世界遺産鉱山へ潜入!

12月25日(日曜日)

ゴスラー市内には「ゴスラーの古い街並み」と、今は閉山している「ランメルスベルク鉱山」の2箇所がユネスコ世界遺産に指定されています。

そこで、珍しい世界遺産の「ランメルスベルク鉱山博物館」に~

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ゴスラーの街と鉱石~book

遺跡から発見された金属器の分析で、ローマ時代より既にこの場所で「鉱石」の発掘がされていた・・・?とも云われています。ランメルスベルク鉱山では最初は「銀」の採掘がされ、掘り進める度「銅」や「鉛」「亜鉛」等も採掘されました。ですが1000年以上にわたって採掘を続けたため、ついには自然の宝物は底を付き、1988年に閉山されました。

そんなランメルベルク鉱山は、当時の様子がそのまま残されていることから「ユネスコ世界遺産」に1992年登録されたのです~

ツアー参加の皆さんとトロッコに乗って、200年以上前に造られた旧鉱山内の「坑道」に堂々と潜入してみましょう~

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ヘルメットをかぶり、坑夫さん達の荷物置き場?に集合して・・・

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坑道案内をしてくださるおじさんは、元ランメルスベルク鉱山の抗夫さんだった方です。

全ての説明はドイツ語でしたが・・・半分わかった「フリdash

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そして、それはそれは狭ーいトロッコに乗って、地下坑道へ移動します。

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「狭いよ~」

「暗いよ~」

娘は頭を「ガンガン」打っ付けながら必死にしがみつき「ここで仕事をする人って、毎日こんなに乗り心地の悪いのに乗ってたんだね」って体感し、大変さを知った様子。

トロッコを降りたらお尻が「ジンジン」して、痒いくらい・・・

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今でこそ、坑道内に白電燈が付いていますが、当時はどうだったんでしょうか~?

暗い坑道内。

アリの巣のような坑道。

デモで水圧で壁岩に穴を開ける時、大きな音が坑内中に響きわたります。

嗅いだことのない臭いと岩粉が、辺に散り広がります。

抗夫たちはこんな環境の中で、仕事をしていたんですね。

その昔、日本の炭鉱で働く人たちのように、出稼ぎ労働者だったのでしょうか?

およそ75分の坑道発掘現場ツアーを終え、再びトロッコに乗り込み「線路は続くよ」を合唱しながら地上へ~。

雨空にも関わらず光が眩しく、冷たい空気が新鮮に感じました~

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2011クリスマス・マルクトめぐり~Großherzogtum Luxembourg編

12月11日(日曜日)

ドイツ南西に位置するトリーアの街を後にし、南側にフランス。北と西側にベルギー。さらには東側にはドイツに囲まれた神奈川県と同じくらいの大きさの小国、『Großherzogtum Luxemburg/ルクセンブルク大公国』のクリスマス・マルクトまで足を延ばすことに~rvcar

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ルクセンブルクの悲しい伝説~book

ルクセンブルク出身の友人が子供の頃、お祖母さんに教わった話だそうです~

時は、西暦(ユリウス暦)963年(日本:応和3年)。アルデンヌ家のジーゲフロイト(Sigefroid)伯爵がルシリンブルク山に城を築き、そして城を城壁で取り囲みました。

これが今の『ルクセンブルク市(首都)の原型』となったのです。

念願の自分の城を完成させたジーゲフロイト伯爵は、Mélusineという名前の女性と結婚をしますが

彼女は・・・実は・・・

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そうとは知らず彼は結婚をしましたが、月日が経つうちに彼は妻の行動を不思議に思うようになり、遂にある日Mélusineの実の姿を知ることになったのです。

事実を知られた妻のMélusineはそれはそれは悲しみ、日差しを浴びて解ける雪のように、街の石壁の中に消えてしまいました~

・・・彼の事をたいへん愛していたMélusineは7年ごとに美しい女性となり、またある時は蛇の化身となりジーゲフロイト伯爵の前に姿を現したのです。

ジーゲフロイト伯爵も心より妻を愛していたので、消えた妻の事を思い続け悲しんでいました。ですが、Mélusineがそのようにして表れているとは知らなかった彼は美女にも蛇にも大層不気味がり、毛嫌いをし、少しも側に近寄らせることはありませんでした。

彼の口づけでMélusineが元の姿に戻れることも知らず・・・

そして、長い年月が過ぎMélusineは遂に、完全に岩の中へ消えてしまい二度と化身としても姿を見せる事はなくなったのです~

さて車を駐車場に止めて、クリスマス・マルクト会場へGoshoe

ルクセンブルク大公国は1994年『古い街並みと要塞群』として、ユネスコ世界遺産に登録されているのです。

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『CathédraleNotre-Dame/ノートル・ダム大聖堂』

1613年~1621年の「わずか8年」と短い期間で建造されたイエズス会の教会です。

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旧市街中心部がクリスマス・マルクト会場となっていて、広場の東側には『自治宮殿』が建っています。(宮殿と呼ばれるには小さいような気も・・・?)

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コのクリスマス・ツリー「ずんぐり・むっくりしているなぁ~」

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アーモンドを磨り潰し、砂糖などを混ぜて半固形状にしたものの「マジパン」。色づけしていろいろな形を作ったり、ケーキの飾りとしたり~と、「食べられる飾り」です。

幸せを呼ぶ「豚」や「てんとう虫」の形をしたマジパンをはじめ、ちょっと「エッチな形」のものも~

食べるには「ちょっと・・・ねぇ」happy02

それに「マジパン」は、然程美味しいものではありませンし~(好みもありますが!)

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聖母マリアの横顔がナントも美しい~ルクセンブルクの『Krippe(クリッペ)』。

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左:オマールエビのスープ 中央:生牡蠣  右:ムール貝のパスタ

フランスの文化(食文化含む)のこの国。ルクセンブルクに来た目的は今回も「生牡蠣」!

でも・・・生牡蠣に対応できるほどイマイチ体調がよくなくって・・・待たされて待たされて・・・料理がテーブルに来ましたが、生牡蠣は4個だけsweat02食べました。

体調のせいもあってか、あまり「美味しい!」って思えなかった~

「残念」

娘が注文したムール貝のパスタの食べ残しを味見程度に少し・・・ドイツ人好みの茹で過ぎたパスタ麺だったけど、濃厚な魚介スープの味は「なかなか美味」でした。

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街のケーキ屋さんには「美味しそうなケーキが」陳列されていて、モンブランが私を呼んでいましたが「ココで食べるにもお腹いっぱい」だし、「家まで持って帰って暁には原型をとどめていないかも?」と思い、潔くあきらめました。

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屋台いっぱいにかけられた「サンタ・コスチューム」が、冷たい風に可愛く揺れています。会場の舞台上では地元の子供たちがクリスマスの歌を合唱しています。

クリスマスまであと少し・・・娘は未だに「欲しいものが決まらない」と、サンタへの手紙が書けていないようで~

お願いだから「日本のものは希望しないでね~ぇ」present

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2011クリスマス・マルクトめぐり~Trier編

12月10日(土曜日)

週末好例となりつつあるクリスマス・マルクトめぐりに、今週末はLand Rheinland-Pfalz/ラインラント・プファルツ州の西の外れ、ドイツの南西(8時の方向)に位置する『Trier/トリーア』に行ってきました。

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トリーアの街の起源pen

ドイツ最古の街と云われる『トリーア』は、紀元前1世紀にローマ共和政末期の武将『ユーリウス・カエサル』によるガリア(現在のフランス地域)遠征により、ヨーロッパ西部の大半がカエサルの進攻によってローマ帝国に組み込まれていきました。

ローマ帝国の拡大に努め、さらにローマ城壁を取り壊し共和政をも崩し「開かれた都市ローマ」につくり変えようとしていたカエサルは、共和政を貫こうとしていた者たちの刃に倒れたのです。

「ブルートゥスよお前もか!」の言葉を最後に・・・

故カエサルの意思を継いだ『オクタウィアヌス(のちの名をアウグストゥス)』がわずか18歳にしてローマ初代皇帝となりました。そして『ガリア地方支配拠点』をトリーアに置いたのです。

この街の美味しいワインwine

トリーアを流れる〝母なるモゼール川〟により、交通の要衝地としてこの街は栄えました。またローマ帝国から赤ブドウの栽培とワイン醸造の技術が伝えられますが、石岩混じりの痩せた土壌では赤ブドウは育ちませんでした。それでも土地の人たちは諦めず、研究と努力を重ね白ブドウを育てる事に成功し、美味しいモーゼルワインは生まれたのです~

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『Porta Nigra/黒き門』 1986年ユネスコ世界遺産登録。

黒い砂岩を使って2世紀前半に古代ローマの市壁として造られたものです。南側からみると丸みをおびた柔らかい表情を見せ、北側(市街地側)から建物をみると悠々としたまるで正反対の表情をしています。

この門は、11世紀から18世紀頃までは『聖シメオン教会』だったのですが、ナポレオン軍の侵略により破壊されてしまい、このような姿が街の入り口の扉として残されているのです。

黒き門をくぐると「クリスマスの雰囲気」が一気に流れてきます~

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騎馬隊ならぬ「クリスマス植木飾り隊」

トナカイは解りますが、何ゆえペンギンがいるのでしょうか・・・?

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一見何だかわからないと思いますが「木の実・花の種で出来た飾り」なんです。すっかり木の実も落ちてしまったこの季節、鳥やリス達へのクリスマス・プレゼントですね~present

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『Trierer Dom/聖ペテロ大聖堂』 1986年ユネスコ世界遺産登録。

トリーア大聖堂とも呼ばれるこの司教座聖堂は、ドイツ最古の大聖堂で326年にコンスタンティヌス1世によって建てられたたものです。

大きなクリスマス・ピラミッドが大聖堂前のクリスマス・マルクト会場に設置され、その周囲ではたくさんの屋台と、そこで食べたり飲んだり話したり~を楽しむ大勢の人・・・その輪の中に突撃bomb

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本日のグリューワイン・カップGet♪

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大聖堂前で賛美歌を歌う若者が~ローマ時代の民衆をイメージしているのでしょうか?

でも・・・ダウンジャケットを着ている裕福な人がbleah

綺麗な澄んだ声が響き渡ります~♬

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トリーアの『Krippe(クリッペ)』。クリスマス・マルクト会場ではクリッペも必ずチェックしなくっちゃ

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食いしん坊の夫と娘を残して、独り大聖堂内に向かいます~

素晴らしい聖堂内部の解説はまたの機会に・・・

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大聖堂の中をゆっくりと見学し外に出ると、いつの間にか屋台飾りのライトが灯り、トリーアの街が華やいでいました。長い時間待たされて焼き栗を買い、焼きたての熱い栗の殻を剥きながら・・・人波に押されて・・・モミクチャにされて・・・娘と逸れないようにしっかりと腕を組みながらも指先は栗皮を剥き・・・頬張った栗の熱で蒸気機関車のように白い息をはきながら「黒き門」を目指していきます・・・

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10分たらず歩いたところで真っ暗。

疲れた・・・

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駐車場に向かう道すがら、一瞬「ハァっeye」とするこんなものを見つけてしまいました。

車の後ろの籠に乗せられた「イノシシ」しかも互い違いに積まれた「2頭のイノシシ!」

「このイノシシ・・・どうするんだろぉ?」

「牡丹鍋にでもするのかなぁ?」

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2011クリスマス・マルクトめぐり~Speyer編

12月3日(土曜日)

朝から久し振りの雨模様・・・。

土曜日恒例の青空市場への「お買いもの」は夫に任せ、午前中はベットでのんびりと読書book たまには主婦業もお休み~。

そんな日に限って夫は「どこぞや」へ出かけたくなる様子で・・・「今日は何処行くんだぁ~」と甘ったるい声を出して、休日スタイルの母娘を急かしたてるんですね~ぇ。

それなら「クリスマス・マルクトに連れてって!」と・・・向かった先は『Speyer/シュパイヤー』です。

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シュパイヤーはフランクフルトのあるヘッセン州の南西にある『ラインラント・プファルツ州』の南東部に位置する小さな街で、古代ローマ帝国によって建設されたドイツ最古の街のひとつです。

「カメラを持ってくるのを忘れた・・・」けれど、携帯電話があるじゃない!殆ど使ったことがないけれどTry camera

重々しい雨雲が風に流され、つかの間の青空が顔を覗かせます。街中に入ると一際目につく「赤土色をした外壁の大聖堂」が、通りの真ん中に悠々と建っています。

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『シュパイヤー大聖堂』1981年ユネスコ世界遺産登録。

神聖ローマ帝国の皇帝〝コンラート2世〟が「自身の永眠の場所」として建設させた『シュパイヤー大聖堂』は1030年に起工されますが、建設の途中にコンラート2世は完成を見る事もなくこの世を去ります。ですが彼の死後も彼の意思をついで、孫の〝ハインリヒ4世〟によって建築は続き、31年の歳月をかけて1061年にようやく完成しました。

そして、コンラート2世をはじめとする神聖ローマ皇帝やドイツ国王達がこの聖堂に眠り、この大聖堂も『Kaiserdom/皇帝大聖堂』と呼ばれているのです~

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大聖堂入り口上部の外壁の飾り彫刻は「それは素晴らしい~」

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聖堂入り口の『天国への扉』は、開けるのに一苦労するほどの重たい鉄の扉~そこには4コマ漫画?みたいに宗教に関する場面が扉一面に彫刻が施されていて、聖堂内の古い歴史を封じ込めているようにさえも・・・

ロウソクの灯し火だけなので聖堂内はうす暗く、残念ながら目を凝らしてもはっきりと見えず・・・大聖堂内はやはり次回のお楽しみということで。

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いつの間にか外は真っ暗~

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チョコバナナ。チョコイチゴ。チョコリンゴ。別腹ですdelicious

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蜜蝋で造られた色々な形の蝋燭。火を灯すと「甘~い良い匂い」が広がるんですよね。そして疲れている時、蝋燭の柔らかな灯し火が癒してくれます。

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すっかり暗くなった街には、アコーディオンで弾く「クリスマス・ソング」のおどけた旋律が流れていますxmas

クリスマス・マルクト中のシュパイヤーの街もとっても素敵ですが、青空の下の街も是非!散策してみたいものです~note

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2011クリスマス・マルクトめぐり~France Strasbourg編

11月27日(日曜日)

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クリスマス・マルクトめぐり旅2日目。ライン川右岸の南ドイツのフライブルクから、ライン川左岸のフランス北東の街『Strasbourg/ストラスブール』に向かいます。

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ストラスブール訪問は4回目、でもクリスマスマルクトは初めてで、ドイツと違った雰囲気が楽しめるかと「ワクワク」します。・・・だけどストラスブール2度目の訪問で「駐車場事件」の苦い思い出があるので、駐車場閉門の時間を厳重に確認!

その時の様子はこちらのブログで~↓

http://schokola-001.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_b975.html

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駐車場をあがってすぐの広場では、スイス国PR会場が~Alpenhorn(アルペンホルン)のやさしい音色が会場内に響き渡っていますnotes

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大聖堂前広場がクリスマス・マルクトのメイン会場~

会場にはたくさんのクリスマス・グッズを並べた屋台があり、真っ赤なサンタさんのコスプレ?衣装がやたら目をひきます~

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建物のクリスマス飾りはクッキーマンの飾り付けが「可愛い~っ」

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大聖堂から少し歩いたところにある『Place Kléber/クレベール広場』には、それはそれは大きく立派なクリスマスツリーが!!xmas

ストラスブールは『もみの木のクリスマス・ツリー発祥の地』で「クリスマスの首都」とも呼ばれています。そしてフランス最古の歴史あるクリスマス・マルクトの地でもあり、およそ440年も続けられているそうです。

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この広場を遠くから望と「箱庭のような街並み~」 ライトアップされたツリーと街並みが見てみたかった~

さらに、どんどん街の中を頑張って歩きます~shoe

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ストラスブールの西側のイル川が分岐しているエリアに、中世のフランスの古い街並みが保存されている『Petite France/プティット・フランス』があります。

1988年にはこの地区を含む『ストラスブール旧市街』がユネスコ世界遺産に登録され、人気の観光スポットとなっています。

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アルザスの伝統家屋が密集している川沿いには、切妻屋根(山形に組み合わさって出来た屋根)の木組みの家~が、入り組んだ水路に密集して建っています。その昔、この川沿いの家には皮なめし職人さんたちが住んでいたとか?

おさげ髪をした女の子が、窓から顔を覗かせそう~な雰囲気の家だと思いませんか?

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あっちこっち「グルグル」・・・

時々立ち止まり、小首を傾げている夫・・・

「エスカルゴとか、フォアグラしかないぞぉ」っと・・・私はそれでももちろんいいけど「値段もいい!」なので却下!

街中散策というより、レストランを探しまわっていたんです・・・

色々歩きまわりましたが、結局は大聖堂のある通りにまで戻って来て「なぁんダ~」って感じ!

ストラスブールに来た目的は~「コレ!」

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今年初のご対面の「生牡蠣」restaurant

牡蠣の身は「ぷりぷり」で、磯の香りが「ホワァ~ン」と広がって「シアワセ

でも・・・生牡蠣にどうしてバターが付いてくるんだろう?

何時も疑問なんですが・・・

レストラン入店から退店まで2時間。随分のんびり・おっとりした店員のおばさんでして~時間に余裕のない時はこの店には入れない・・・ですね。

娘は手付かずの宿題があるらしく、ヤヤ焦り気味。

「さて!」頑張って家を目指しましょうrvcar

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ドイツをちょっぴり超えた旅~ Bruxelles編Ⅳ(セルクラークス像)

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『Grand-Place/グラン・プラス(ブリュッセル中心部広場)』

1998年ユネスコ世界遺産に登録

フランスの作家で『レ・ミゼラブル』の作者〝ビィクトル・ユーゴー〟が「世界で最も美しい広場」と称したグラン・プラス。出来る事ならパノラマ・ビューでお見せしたいのですが・・・movie

12世紀より政治と経済の中心として栄えたブリュッセル。15世紀には広場周囲には10数件のゴシック様式の建物が建てられますが、1695年のスペイン侵攻で市庁舎以外は「ほぼ破壊」・・・ですがその後すぐに、同業者組合によって再び再建され、今の風景を残しています。この広場は多くの有名な芸術家たちを魅了し、特にこの場所をこよなく愛したユーゴーは小説『Napoléon le Petit/小ナポレオン』 の「舞台」として小説の中に残したのです。

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広場を囲むように「東・西・南・北」に建物があり、それぞれのギルド名には建物の呼び名がついています。たとえば「肉屋同業組合=白鳥の家」「パン職人同業組合=スペイン王」などと、どんな理由でつけられたのか調べてみたい気も~

広場南側の市役所とR.Ch.Bulsに面した建物名「星の家」の壁に『セルクラークスの像』が横たわっています。

英雄セルクラークスのお話しbook

彼は嵐の夜に不正な方法で王位継承を略奪した『フランドル伯』に反感を持ち、「星の家」に掲げられていたフランドル伯の旗をひき降ろしました。そして正式な王位継承の『ブラバン公』の旗を掲げたのです。そんな彼の英雄的な行為が市民の士気を高め、ブラバン公は正式に王となったのです~。嵐の夜の出来事から30年以上たった後に、セルクラークスはガースビーク城の城主の一派の手によって暗殺されてしまったのです。

「・・・・・と云うことは」この像は『○☆▼◎★□』なのでは?

あまり縁起のいいものではないように思えますが、この像の右腕に触ると「幸運をもたらす」と云う言い伝えがあるそうで・・・

色んな地・街で同じような「触るとシアワセ~伝説」にあやかっていますが、あっちこっちの場所で色んな像に触りすぎても大丈夫なものなのかな?

今でも充分幸せなので、これ以上は欲張らないようにします~sagittarius

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