カテゴリー「旅日記:クロアチア」の記事

ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅺ グルグルZagreb散策  

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の『聖ステファン大聖堂』から『Dolac Market』を抜け、商店街通り?をどんどん進んでいると、高低差30mの世界一小型といわれている単線のケーブルカーが走っています~。

夫「乗るかぁ?」

私「もったいないから乗らん!」

娘「それやったら、アイス食べた方がいい」

っテナワケデ、歩いての『聖マルコ教会』を目指すことに~

でも・・・後悔することになりましたが。

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歩いて上って着いた先は「単線ケーブルカーの頂上発着所」

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そしてこの地区の観光の「目玉」が見えてきました~

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じゃ~ンshine『聖マルコ教会』

「なんと!インパクトのある屋根でしょう~」

一番目に付くのは屋根の上の紋章ですね。右側が「ザグレブ紋章」そして左側が「クロアチア王国」「ダルマチア地方」「スラヴォニア地方」を表した紋章が鮮やかな色の瓦を敷き描かれていて、その周りにも赤・青・白・茶色の瓦で見事なモザイク模様を見せてくれています。

教会が造られた当初はこのような屋根ではなかったそうですが、1880年の巨大地震でこの聖マルコ教会もほぼ全壊し、復旧するときに屋根上アートが加えられとか~。

聖マルコ教会前の広場、右側の建物は「国会議事堂」そして左側は「政府官邸」が並び、このゴルニィ・グラード地区には国の重要機関の建物が集まっているみたいです。時々お巡りさんが通りをパトロールしている姿を見かけましたが、厳しい表情はしているものの、それほど厳重な警備をしている風ではありませんでした~。

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もう一つ、ザグレブの観光スポット『Stone Gate/石の門』へ~

中世期に「自由都市・グラデッツ」を取り囲んでいた城壁(オスマントルコがヨーロッパに侵攻する時代に重要な城壁)の東門がこの場所にありました。

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造られた当初の東門は、木造りの門でした。

1731年に『東城門』の近くで大火災が起こり、木造りの東門も全焼してしまいましたが、不思議なことに『聖母マリア像』は大火事の中、無傷だったそうです・・・。火災後「より強固な門」にするため石で再建されたことにより、門の名前が『石の門』となったそうです。(そのままですね~)また、無傷だった聖母マリア像を住民たちは大切にし、今でも多くの人たちが花を手向け、ロウソクに火を灯し聖母マリア像に”Hvala”と、感謝の言葉を捧げれているのです。

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そして街中散策も終わりに近づいた夕方。たくさんの子供たちを乗せた路面電車が可愛いらしくクリスマス色に飾られた外観で、走り抜けていきます~。クリスマスはすっかり過ぎているのに、運転手さんは「サンタさんですね~」子供たちの笑い声が電車の窓からこぼれてきそうです。

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅹ Zagrebで街中散策だ!  

『Zadar/ザダル』から一気に『Zagreb/ザグレブ』に戻り、この日の夕食は旅行本に載っている中華料理店へ~この日は夜更かしもせず(私だけだったようですが)長距離移動の疲れを癒し、翌日のザグレブ観光のために備えます。

2012年1月2日(Montag)

ザグレブの街の名の由来pencil

ザグレブという名前はスラブ語の『 Za Grebl(ザ・グレブル)』に由来していて「溝の後ろ」という意味を持っているそうです。地図で見ても分かるように、ザグレブはその名の通りはっきりと『Gornji Grad/上の街』と『 Donji Grad/下の街』とに分かれています。

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クロアチア旅行初日に、このザグレブに降り立った時と打って変わって青空が眩しい限り!ホテルからひたすら歩いて、市内観光に向かいます。

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ザグレブの中心部の南側にある『Glavni kolodvor(中央駅)』構内を通り抜け、地上に上がると駅前には長くて綺麗な公園が広がり、道の両側には手入れの行き届いた19世紀に築かれたそれは立派な建物が並んでいます。最初の公園は『Trg Tomislava/トミスラフ広場』と呼ばれ、黄色い展示館が一際目立っていました~

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そして、近代美術館⇒高級ブティック⇒レストラン⇒考古学博物館を通り過ぎ、なだらかな坂をのぼってカピトル地区の聖マリアの円柱に辿りつきます。

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同じ広場には16世紀の要塞の外壁や塔などが残っていて、さらには街のシンボルでもある左右に2つの塔(高さ100mを超える)を持つ『Sv. Stpinac Katedrala/聖ステファン大聖堂』があります。

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この教会の建設は13世紀に始まり、5世紀もの年月を経て18世紀にやっと完成しました。1880年にはこの土地を襲った「巨大地震」にみまわれ、教会は大損害を受けました。ですが『聖ステファン大聖堂』は地域住民の手によって早急に修復され、ネオゴシック様式の教会として再建されました。今でも教会は通称『聖ステファン大聖堂』と呼ばれていますが、実は『何たらカンタら?』と云う名前に改称されているのですが、残念ながら私には読めませんでした~sweat01

教会の内部はそれは豪華なシャンデリアと祭壇、そしてステンドグラスや絵画にうっとり♬

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大聖堂広場から坂を下って、イェラチッチ広場(共和国広場)に向かう途中の広場で開かれている「ザグレブの街の中で一番古い青空市場」の『Dolac Market』を覗いてみました~。暖色系の艶やかな色の美味しそうな果物がたくさん積まれ、パンやチーズそして木造り玩具や家庭雑貨など×2。それはいろんな物が売られ、住民の台所として~観光スポット一つとして~賑わっていました。

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そして、これはなんだと思いますか?

Cimg6505_3遠くから見ると、どう見たって「奇妙な色のホース」にしか見えなくって・・・。それはそれは長ーいギネス級の「ソーセージ」ですgood

「食べてみるべきだったかも?」と、今頃ちょっと後悔。

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これも「リアル・ショット!?」camera

豚の丸焼きです!

その間、数人の人が「首の部分」とか「お腹の部分」とか注文して、買い求めていましたが、油が程よく染み出て、全型を想像しなければ「美味しく食べれるかも?」

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ちょっとエグイ映像の後には綺麗な「ミモザ」の花で~

さて、残りの元気パワーを使ってもう少し足を延ばして『聖マルコ教会』に向かいましょう!

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅸ Zadarの青よりも碧い海

クロアチアで5番目に大きな街『Zadar/ザダル』では、クロアチアの西に位置しダルマチア地方の主要都市です。そしてザダルは複雑な歴史と不思議な魅力を持っている街なのです。

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ザダルの街の起源pencil

紀元前9世紀(日本の縄文時代早期ごろ?)、古代ギリシア・古代ローマ時代に現在の『バルカン半島』の西に存在していたといわれる『イリュリア王国』のイリュリア人たちにより、ザダルの街は港町として造られ発展して行ったのです。

紀元前4世紀ごろには、この街は『Jader/ヤデル』と呼ばれていて、その100年ほど前には「地中海征服」を実現させていた古代ローマによりこの街も支配されはじめました。紀元前1世紀には完全征服されてしまい、そしてローマ人により古代ローマ都市がココに築かれたのです。

ザダルの運命pencil

中世期には『フランク王国』『東ローマ帝国』の支配下となり、ヴェネツィア共和国と競うほどの勢力を誇って行くのです~。

  • 10世紀⇒クロアチアに組み入れられる。
  • 12世紀後半⇒ハンガリーの領地になる。

1202年。『第4次十字軍』が資金調達の目的で、何を血迷ったのか「同じキリスト教の国」ザダルを攻撃したのです。そしてヴェネツィア共和国の完全支配下とされてしまいます。

・・・ザダルはその後も色々な帝国・共和国の支配下とされ、数奇な運命をたどるのです。

第2次世界大戦での運命pencil

Renngoukoku  娘の社会科ノートより~

第2次世界大戦中には『イタリア』の支配下となり、そのためザダル旧市街は、連合軍からの攻撃を幾度となく受ける運命となったのです。

その後のザダルは~pencil

1947年。第2次世界大戦後・・・。連合軍とイタリアとの間で『平和条約』が結ばれ、ザダルはユーゴスラビア領として生まれ変わります。ですが、1991年に勃発した『クロアチア独立戦争』によって再びこの街はセルビア軍の攻撃を受け「街は壊滅状態」になりました。ですが市民の情熱と力で歴史を介した多くの見どころが残る街として急速に再建されました。

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ザダルは1kmほど海に突き出した「のし餅形」をした浮島のような半島です。何だか愛知県の空港『セントレア』のよう~。不思議な街の匂いがします。

旧市街の石畳の道は、今回のクロアチア観光で行ったどの石畳よりも、表面は平らで艶よく「テカって」いました~shine

たくさんの人が歩み・・・

この石畳を自然のうちに磨いているのでしょうね~

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ナロドニィ広場では柔らかなピンク色の時計塔がお出迎え♬

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ヨーロッパ最大級の中世初期の建造物『円形の聖ドナ教会』と『ストシャ大聖堂』『ローマ時代からの遺跡』『聖母マリア教会』等々~見応えいっぱいです!

シロカ通りをそのまま海の方向へ進んでみましょう~。

201201jan0092_5何処かで見たことのある方ではありませんか!?『鳥』『サイコ』(洋画好きの母と一緒に白黒映画を食い入るように見てたっけぇ)でお馴染みのサスペンス映画の巨匠『アルフレッド・ヒッチコック』です。この海岸沿いには美しいホテルや大学などが立ち並び、新旧を織り交ぜた雰囲気が漂っています。ヒッチコックはあるホテルの一室から海を眺め「最も美しい夕日が見える場所~」としてこの街のこの場所を絶賛したのです。「小馬鹿」にしたような上から目線のこの写真の角度、見れば見るほどな憎ったらしいオジサンと思えて仕方ないのですが・・・

201201jan0101_2そして、ここには世界で一つだけの「シー・オルガン」があります。一見、オルガンというよりハーモニカのような気も?寄せては返す波の風圧が、石段に造られた穴からパイプの中の空気が押し入り、この空洞の奥にあるバルブを空気圧で押し上げることによって音が出る仕組みだとか・・・。(わかったような?わからないような?)地元出身のアーティストとザグレブの大学、そしてオルガン職人のコラボで生まれた楽器。「自然が奏でる不思議な音楽」をチョビット楽しみました~notes

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そして果てしなく広がる碧い海。果たしてどの漢字の「アオ」を当てはめるべきなのかわかりませんが・・・。そしてこの「透明な海水の色」透明だから色という表現はおかしいですね。

小さな魚が群れをなして泳いでいるのさえ、腰を屈めなくても充分に見ることが出来るほどの「それはそれは澄んだ海」を久しぶりに見ることが出来「とても幸せ」です。

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅷ Klis要塞に寄り道

スプリットでの「古代都市散策」がまるで夢のような時間でしたがそれも終わり~。この日はザグレブに戻ります。

「再び5時間ものドライブかぁ!」と思うと、助手席に乗ってるだけでもウンザリ。運転好きでも運転手の夫はさぞ疲れることは分かってるけれど・・・長距離・長時間の移動の疲れに付き物の「些細な喧嘩」と「押し寄せる眠気」・・・。

これには充分配慮して「車内の雰囲気を盛り上げましょう~」

そう云えば・・・

スプリットの町は『Dalmatia/ダルマチア郡』に属しているんだけど、何だか聞いたことのあるような気が・・・?

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『ディオクレティアヌス宮殿』のお土産屋さんで売られていたマグカップに、その響きとなりうる動物の絵が描かれていました。

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そうです!ディズニー映画でお馴染みの『101ぴきワンちゃん』の主人公?ダルメシアはこの地方原産の犬種だとか?!

ですが、スプリット滞在中は一匹もみませんでしたが・・・

さらに車は国道1号線をザグレブに向かって走り進みます。そしてスプリットの町がだんだん小さくなりますが、白玉団子を抹茶かき氷に散らしたような「カルスト台地」が右に左に~と、間近に見えてきます。

偶然「ふっ」と運転席の夫の頭の方を見てみると、進行方向左手山頂に何やら「要塞」のような建物が?

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「何だろ?」

カーナビの指示を無視して国道1号線を外れると、カーナビは「Uターンしろ!」と忙しく喋りますが「完全無視」

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とにかく山頂の要塞だけを頼りに進むと『Klis⇒』『それらしき』標識が出てきました。手元にある日本の旅行本にも何も記載されていないし不安だけど・・・「行っちゃいましょう!」

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要塞麓の駐車場に車を止め、入り口階段を「のっそりのっそり」と上ります。予想はしてたけど・・・キツイ。

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階段が終わると石を削って造ったダケの「急勾配」の坂道をさらに上っていきます。「行は良い良い帰りは恐いshock」様な・・・膝にずっしり体重がかかります!

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景色を眺めるフリをして「休憩」。

スプリットの内陸に連なる山と山の切れ目にある『Klis/クリス要塞』。遠くにはスプリットの町並みが見えます。

よくぞこんな所に要塞を建てたもんですねsweat01

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残念ながら要塞は元旦だからか?(普段は10:00~16:00まで入場可と表示あり)入り口門には南京錠がしっかりとかけられ、中の様子は見ることが出来ませんでした。朽ちた扉の穴に「デジカメのレンズ」を突っ込んでちょっとだけ覗いてみました。

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2人のお孫さんとお散歩に来てた方が教えてくれましたが、クリス要塞は16世紀末にスプリットとその周辺地域に住む人たちが「オスマントルコ軍」の侵入を防ぐ目的で、一番見晴らしのいいこの山頂に建てられたとか・・・。

「うぅっぅ・・・」内部が見れなかったことが悔やまれる・・・crying

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅶ 指令⑥笑門福来♬

2012年1月1日(Sonntag)

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日本での大晦日の過ごし方は「紅白」「ゆく年くる年」を見て、除夜の鐘の音を聞きながら、初詣に向かう・・・のが定番でした。ドイツ暮らしが始まり大晦日は家族でおしゃべりして、何かかにか食べたり飲んだり。旅行に出かけていない限りは、意外と「地味」に新年を迎えている我が家です・・・bleah

そしてドイツ恒例の『年越し花火』をして新年を迎えるのです~

ドイツでは大晦日から新年に向けて、各家庭で盛大に花火を打ち上げ新年を迎えます。今年の花火にかける平均予算は€150だったとか・・・ニュースで言ってました。

果たして「クロアチアで花火を打ち上げる習慣があるのか?」「花火をやってもいいのか?」をホテルのフロント係りに確認すると、年配の人は「知らない・・・」でも若い人は「みんなやってるよ~」「海に向かってすればいいよぉ」と好返事。

そうと聞けば、花火をやりますよぉ~。

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ホテルのロビーでは、カウントダウン・パーティの真っ最中notesサルサにヒップホップに~と、大音響で音楽が流れ、着飾った老若男女が踊りまくってましたが、ホテルを一歩出るとムード満点の静けさ~それに加えロマンチックなほどの白光する月と満天の星。波の音だけが聞こえるスプリットの海岸・・・

海の向こう(スプリットの町方向)でも、花火の音が聞こえます。

昼間のうちに、近くのスーパーで購入しておいた「ちょっとショボメ」の花火だけど、新年の花火を楽しみました。

そして、日本の家族に電話でご挨拶~

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九州の父に電話した時のこと・・・mobilephone

只今クロアチア時間の1:00前。日本時間は9:00前~

姉たち家族は、深夜の初詣でまだ起床してなくって、耳のすごーく遠い父が電話対応。電話口からは「キぃーキぃー」と補聴器の怪しげな音が聞こえて来て、昔の衛星放送を聞くように会話にも「時差」が・・・。それでも、久しぶりに孫の声が聴けてうれしい様子で声のトーンも2オクターブほど高め。

普通に会話をしていた時、いきなり父が・・・

  • 父 : ところで今年は何処で新年を迎えたんかぁ?
  • 私 : クロアチアだよ~
  • 父 : ??????
  • 私 : クロアチア(ちょっと大きめの声で)
  • 父 : こんにちは
  • 私 : こんにちは(ふざけてるの?)
  • 父 : 何処で年明けしたんかぁ?
  • 私 : クロアチア!
  • 父 : こんにちは~ぁ
  • 私 : こりゃ駄目だ・・・!

とにかく笑いの空気が頬まで込みあげてきて、父との会話が笑いで続かなかった~

『KUROACHIA=KONNICHIWA』どんなに解析しても「クロアチア」と「こんにちは」がどこでどう間違えたら聞こえるのか「不明」。文字数5文字つながり・・・という以外には何も・・・

そんなこんなの、2012年新年初笑いでした。

そして、この笑いネタは「娘が学校で広めまわっています♬」

ちびまるこちゃんのおじいちゃん「友蔵」にそっくり(ハゲてるところが!)な父。心臓や膝の調子も悪くなり、近頃では「アメリカ」にも行けなくなったようですが~(アメリカと云ってもUSAではありませんが!家の近くのパチンコ屋「ラスベガス」のことです。)どうぞ今年も元気でねぇ。

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅵ 指令⑤1700年前へ時空移動

トロギール観光が終わった後も「余力」のある私~

夕食までにも「まだまだ」時間もあるので、スプリット中心部から北東へ約5kmと~然程遠くはない場所に、古代ローマ人たちが暮らしていた居住都市跡の『サロナ遺跡』があるとの情報入手!

「これに行かないわけには~flair

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サロナとスプリットの繋がりpencil

ローマ帝国時代にダルマチア州の州都として栄え、アドリア海岸最大の都市の『Solin/ソリン』にサロナ遺跡はあります。

前日に行ったスプリット旧市街にある『ディオクレティアヌス宮殿』

この宮殿の主『ディオクレティアヌス皇帝』は、サロナ生まれであったとも?伝えられています。そして宮殿が完成してから「長らくほったらかし状態」の時、ここ『サロナ』に住んでいた人達が異民族からの攻撃を逃れて、神殿周辺や内部にまで入り込んで住みついてしまった・・・と記しましたが(Myブログ:指令③参照)ここに住んでいたサロナの人たちがスプリットの町を支え、さらに大きく発展させていき、主要都市として現在に残している・・・。

サロナとスプリットには深~い繋がりがあったのですねぇ~

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「さて」 サロナ遺跡見取り図看板のある駐車場に車を止め、散策開始と・・・車を駐車場に停車したものの、何だか浮かない顔の夫・・・

駐車場入り口に3~4人の男性が「何やら怪しい動きをしている」と、警戒モードの夫!「車上荒らし?」「それとも・・・?」。日頃、警戒心のあまりない夫にしては珍しいなぁ~。

とりあえず夫を残し、娘と2人でサロナ遺跡にGo!その後「問題なし!」と合流した夫。娘の一言で、途中1度だけ車を確認しに行ってましたが・・・

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サロナの遺跡は古代遺跡公園となっていますが、駐車場側から入った遺跡入り口には古ぼけた小屋みたいなのがあって、『入場料』の掲示物が貼ってるけど解読不能!しかも係員もいない~。鉄柵門も開きっぱなしで皆さんテンで勝手に入って行くし・・・。その上「犬は侵入不可ban」って看板が出てるけどお構いなし・・・。

古代遺跡で犬のお散歩?なんとも贅沢な散歩なのかしら~。

そして入場料徴収もないってことは、ひょっとして冬場のオフシーズンだから「タダ」ナノかも?

「超ラッキー

ここは遠慮なく、有難く見学させていただくことに~。

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円柱が何本もむき出し状態で、ここは何かの建物跡らしい~?誰かお偉いさんの豪邸だったのか?それとも会議場みたいなものだったのかな?

雨ざらし状態で朽ちた「棺」のようなものも・・・?浴槽にしては小さいし、水溜めのようにも見えなくなくない・・・し。

正解は~bell

1231000016_3303年。ディオクレティアヌス帝は市民らに「皇帝を強制的に崇拝」させるために『キリスト教会廃止令』を投じ『聖書廃棄令』を出しました。さらには、キリスト教聖職者全員を逮捕し投獄を命じたのです。これって、キリストの張り付け刑の執行と何か関係があるのかなぁ・・・調べてみようっと~。

そんな時代の犠牲者となったキリスト教聖職者たちのお墓の上に、この建物『キリスト教の教会堂(バジリカ)』が建てられた・・・と、記されていました。

その『サロナ都市』は、639年にスラブ人とアヴァール人(中央アジア・東と中央ヨーロッパで活躍した遊牧民)の侵略によって、都市のほとんどが破壊されてしまったのです。

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バジリカ跡を少し進むとサロナ遺跡博物館?らしき建物があり、その横にとってつけた様な小さな庭のような・・・ブドウの蔓が絡んだ軒下に、どう見ても新しそうな「何か?」

祭壇・・・?ここに祭壇はないか・・・。水飲み場?「かもねぇ」

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樹齢何年?何百年?あるいは・・・

この木の先に広がってくるのは~

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思いっきり感動crying

コノ風景を目の前にして、一瞬息をのみこんでしまいました。

「どのくらいの広さがあるんだろう~?」

このスペースの中に「円形闘技場」があって「民家」があって・・・民家の跡には台所らしき雰囲気の小部屋があったり~建物の原形はとどめないものの石を積み上げた仕切り壁等から、不思議と当時の様子が想像できる気が?!

遠くに見える近代の街並み・ビル群。

古き時代と新しき時代が交差しているような「不思議な空間」に立っている気がします。

そして私の歩いてる人生は、これまでの地球の起こりからしたら「ほんの小さな距離」でしかないけれど、だからこそしっかりと地に足をついて踏みしめながら歩いていきたいものです。

2011年の大晦日のこの日~ちょっとだけ、1700年前にタイムスリップしましたclock

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅴ 指令④城壁の島へ潜入!

12月31日(Samstag)

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『Split/スプリット』から27Kmほど北西に位置し、クロアチア国本土とアドリア海のショルタ島との間に浮かぶ小さな島『Trogil/トロギール』に行ってきました。

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『Trogil/トロギール旧市街』。城壁で囲まれた島全体が1997年ユネスコ世界遺産に登録。

トロギールの起源pencil

その昔、トロギールを含む周辺の島々には「イリュリア人」が先住民として暮らしていました。

トロギールはスプリットよりも少し歴史が古く、紀元前385年にヴィス島から「古代ギリシア人」が植民にやって来て、ここに「植民都市」を築きました。

繁栄期の植民都市pencil

ダルマチア郡のアドリア海の海の恵みと、大きな港をもつ都市『トロギール』は、移住して来た古代ギリシャ人たちで賑わい、どんどんと栄え発展していきます~その後ローマ帝国の支配下に置かれますが、港町は変わりなく栄え続けます。

トロギールの運命~pencil

クロアチアの歴史書より~

  • 9世紀 ⇒ ローマ帝国支配下に~。
  • 11世紀 ⇒ 司教区創立されるが1828年に廃止。
  • 1107年 ⇒ 町として自治権を授けられる。                               (ハンガリー・クロアチア王カールマーン1世の命により)
  • 1123年 ⇒ サラセン人に「町全域が征服」され破壊!
  • 12~13世紀 ⇒ 短期間で「復興」経済繁栄を果たす。
  • 1420年 ⇒ ヴェネツィア共和国支配下に~。
  • 1797~1918年 ⇒ ヴェネツィア共和国崩壊。                        (ハプスブルク帝国に吸収)
  • 1806~1814年 ⇒ ナポレオン戦争でフランス軍に占領。
  • 第一次世界大戦後 ⇒ ユーゴスラビア王国の一部に!
  • 第二次世界大戦中 ⇒ イタリアに占領。
  • 1944年 ⇒ イタリアより解放。
  • 第二次世界大戦後 ⇒ ユーゴスラビア社会主義国連邦共和国に吸収。
  • 1991年~現在に至る ⇒ ユーゴより独立したクロアチアの一部と~。

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離れ小島となったトロギールpencil

植民都市として建設が進められている当初は、この島はクロアチア本土と陸続きでした。

ですが中世期・・・数奇な運命のこの町は、敵の侵入よ防ぐための「生き残っていく手段」として、クロアチア本土との間に『水路』をつくったため「橋で結ばれた離れ小島」となりました。

旅日記shoe

本日はそれは見事な青空♬

旧市街の内は狭い路地が入り組んでいるので、島の入り口にある駐車場に車を止めて街中散策は歩いて行きましょう・・・

旧市街は東西500m、南北300mのそれは小さな島~。島を一周するにも1時間ほどでOKとか?

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本土からの石橋を渡るとすぐに、町の守護聖人でもあり12世紀の司教『イヴァン・ウルスィニ』が町を見守るように立っている『北門(陸の門)』が待っていてくれます。

以前は防衛のため、本土から渡るための橋はなかったそうですが・・・15世紀に城壁が築かれ、さらに17世紀には城門がつくられました。

この門はその昔~「日の出とともに開門」され「日没とともに閉門」されていて、たとえトロギールの住人であったとしても町に入ることはできなかったとか・・・?締め出しをされた人は「野宿」をしたんでしょうかねぇ?

「いえ!いえ!」そんな人のために、門の傍に宿泊施設を設けていたそうで・・・。

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門から旧市街へと入るとすぐ!町の中心である『イヴァナ・パヴラ広場』があり、聖ロヴロ大聖堂(左)・市庁舎(中)・時計塔(右)が、広場を囲むように建っています。

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『トロギール大聖堂(聖ロベロ大聖堂)』

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大聖堂の正面入り口の装飾は、ヴェネチアのサン・マルコ寺院の玄関のレリーフ製作にも携わった彫刻家『ラドヴァン』の作品で、入り口左右にはライオン像(何ともお人よしそうなライオン像でしょう~)があり、その上には、右側にアダムさんと左側にイブさん(隠す位置が逆なのでは?)の彫刻が施されていて、それは素晴らしいロマネスク様式の入り口です~。

うっとり~

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小さな島の小さな町~

建物が「これぞ!」とばかりにひしめき合って連なり「ギュウギュウ詰に」建っていて、その上、建物の間の石畳の道も幅が狭く「正規の道」にもかかわらず「裏路地」のよう。

昼間でも薄暗い・・・。一人で歩くのはなんだか心細くなりそう。

だけど、宮崎駿の「猫の恩返し」のに出てくる風景のような~味のある路地です。

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平らで表面がツルツルしている大きめの石の道。何のヘンテツもないような石畳の道・・・のように思えますが、道が「V字型」に造られていて、水はけを良くする構造に~。これなら「大雨が降っても」道の両脇に建ち並ぶ建物の中には水が入ってこないrain・・・ってわけですねぇ。

ここに暮らす人の工夫が窺えます。

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15世紀に造られた『カメルレンゴ要塞』は、ヴェネツィア共和国支配時代に、それまであった塔を改築して砦として造りり変えられたものです。

1420年のヴェネツィア共和国支配時代の最中、トロギール市民たちは支配の在り方に「反感」を持っていたため反乱を起こしていました。そのため、遠く対岸からの「外部侵入者」から町を守る目的と、内部反乱からも守るために威嚇し続けてきたとか?

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『聖マルコの塔』は『カメルレンゴ要塞』と同じ時代に「オスマントルコ帝国の攻撃」に備え建てられたものです。『カメルレンゴ要塞は海側の守砦』の『聖マルコの塔は陸の守砦』として使われました。

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海岸線沿いは見事に整地され、城壁と近代的な住宅が建ち並び、そして道沿いには何本もの椰子の木が植えられ「南国の雰囲気が~」(椰子の木!というだけの単純な発想です)

123100014_3町の南門(海の門)を抜け、およそ50mのチオヴォ橋を渡りチオヴォ島に向かいます。でもこの橋・・・「かなりやばい感じ!」と云うのも、車が通る度に橋が大揺れ!しかも「ギシギシ」軋む音が~sweat01

「お願い!揺らさんでぇ」cryingと年甲斐もなく騒いだ私。すかさず娘が私の元から離れていったのは言うまでもありません!

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『チヴォ橋』の真ん中辺りで、橋の揺れに大股開きで必死に耐え、トロギールの絵になる風景を

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苦労して渡ったチオヴォ島は

「つまんない・・・」

「何もない・・・」

変わった事と云えば、物乞いのおじいさんが「お金をくれ~」みたいなことを言って、両手を差し出してきたけど「無視」してたら、大きく「チッツ・・・」って、舌打ちされてしまった。

大晦日だからあげるべきだったかな?とも、思ってみたけど・・・

気を取り直し、再び「揺れる橋」を渡って戻り駐車場へ~

島内観光所要時間⇒およそ3時間。

足は「パンパン」に浮腫んでいるけど、私にしては珍しく体力的にはまだ余裕!母なる海の力のお蔭なのかしらぁ~海の匂いは「やっぱりいいな~ぁ」

そんなこんなのトロギール散策でしたが、「城壁の島へ潜入」を充分に楽しみ、満喫しました

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅳ 指令③古代都市へ行け!

12月30日(Freitag)

『Split/スプリット』の旧市街地は古代都市の残る街で、それは貴重なローマ時代の遺跡の数々が残っています。

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港町スプリットの旧市街地の一角にある魚広場では、アドリア海のサバ・イワシ・アジ・鯛などの新鮮な活きのよい海の幸を毎朝売っています。温泉療養センターの前で魚市場は開かれているので、硫黄の匂いで魚の生臭さを「消臭しているとか?」
  

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ローマ皇帝『ディオクレティアヌス』の誕生までpencil

西暦284年~305年当時、ローマ帝国の皇帝として在位していた『Diocletianus/ディオクレティアヌス』は、元奴隷の父を持ち幼少名は『Diocles/ディオクレス』と呼ばれていました。

彼は元奴隷の父親を持つ身・・・そのため差別と偏見をもたれ軍隊では大変苦労を重ねます。ですが、誠実に任務をこなし『帝国ヌメリアヌス親衛隊長』まで登りつめました。

283年に当時のローマ皇帝『ヌメリアヌス』が殺害されたあと、『ディオクレティアヌス』は将兵から一気に駆け上がり、皇帝職を引き継ぎそして軍人帝国時代をまとめあげていきます。

彼の思想pencil

ディオクレティアヌスはローマ帝国の再建に力を注ぎ、ローマ帝国はどんどんと大きくなっていきます~。そして、彼一人だけではローマ帝国を隅々までまとめていくことが難しくなっていきました。そこで考えられたのが『テトラルキア政治形態(四分割分担統)』を取り入れ、政治をくみ上げていったのです~。

現在の政治体制の基盤を創った「発起人」なのかもぉ?

また、君主制(親の持っている地位・肩書き・職業などを子孫が引き継いでいくこと)を推奨し、取り入れるよう働きかけますが、後世この君主制のおかげでローマ帝国が乱れていくとは予想もしなかったことでしょう・・・

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ご隠居さんへ転職pencil

西暦305年にディオクレティアヌスはローマ皇帝を退任し、ご隠居さんとなります。

『水戸黄門さま』は御一行様と「お国直しの旅」でしたが、彼は皇帝を退任する10年も以前より隠居後の安住の地を探し、巨大な宮殿を建てさせていたのです。

ですが完成後、長~い間放置していた間に近くの『サロナ』に住んでいた人達が異民族からの攻撃を逃れ、神殿周辺や内部にまで入り込んで住み着いてしまったそうで・・・

それが、クロアチアのスプリットです~。

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宮殿内博物館の古い形を描いた復元図によると~宮殿の南側は海に面し200メートル四方を囲む城壁で守られていたそうです。(今はきれいに埋め立てられ、椰子の木が植えられ遊歩道になっています。)

第二次世界大戦時にはナチスドイツやイタリアにクロアチアも従属させられていたため、連合国から攻められ砲撃を加えられててしまい、街は「壊滅的な被害」を受けました。ですがその後修復され今の形として残っています。

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狭い路地があちこちに・・・まるで迷路のようですが、住んでる人たちはもちろんどこを「どのように通ればどこに行ける」って分かってるところがスゴイ!

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なんだか「不思議な空間」

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ドイツとは違う「石畳」だけど、石の表面はつるつるしていてこの日はあいにくの雨・・・雪道を歩くように「一歩ずつ用心」して親指に力を込めて歩きました。

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1979年。旧市街のすべての史跡がユネスコ世界遺産に登録されています。

宮殿は「霊廟だ!」とも言われているようですが、今はその宮殿内に様々なお店や住宅が建ち並んでいて、ローマ帝国時代からの城壁を支えていた石柱の一部を利用して、銀行の支店として利用されていたりするんですよぉ。

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宮殿内の民族博物館を出て、『銀の門(東門)』を抜けると青空市場が立ち並びます。

水分補給がてら、オレンジを1㎏購入・・・

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『金の門(北門)』を目指して歩いていると何やら撮影中!

どうも結婚記念写真を撮影中のようですねぇ~。

こんな歴史ある神秘的な場所で「思い出の写真」なんて

素敵

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『グルグール・ニンスキの像』に辿り着くと、雨雲も消え青空が~

そう云えばここまでの道はアーチ型の石が覆う路地が続き、空を見ていなかったなぁ・・・

10世紀にスプリットでクロアチアの宗教会議が開催されましたが、その時「教会でのスラブ語の使用を禁止令」が出されました。その命令撤回を求めたのが「ふざけたような名前の持ち主」グルグール司教だったのです。

そんな彼の功績をたたえ、1929年に彫刻家『イヴァン・メシュトロヴィチ』によってつくられました。

彼の左足親指に触れると「幸運」が訪れるとか~誰かにペディキュアしてもらったんですねぇ?さり気なく足元のお洒落を楽しんでいます~

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歩き疲れたら、やっぱり「甘いもの~」

濃厚なチョコレートが口の中で「ジンワ~ぁり」と溶けていきます。そして、疲れが薄紙をはがすように抜けていきます。

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅲ 指令②海の幸が食べたい!

仮眠をとって体力回復!

「何処かで昼ご飯を軽く~」と向かった先は、ホテルに隣接したアリーナのレストラン!

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中途半端な時間だったもので、店内は貸切状態。オーナー自ら濃厚な接客。季節外れの海辺の旅行とあって、これぞとばかりに海の幸を勧めてくるんです・・・。見せられると誘われる~「んーっダメダメpunch

夫 : 「昼の食事だから、あまり食べれないよぉ~軽く食べたいんだぁ~」と、ヤンワーリとお断り。

オーナー : 「しばらく置いとくから考えててねぇ♬」

オーナーも負けてませんね~。

「コノ商売上手!」

でも、やっぱり昼からいきなりぶっ飛ばして食べれません・・・ってなわけで、折角なので写真だけcamera

冬場の魚はとっても美味しいんだけどなぁ~ところで、このエグイ顔の魚は何ていう名前なんだろう?

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6種類のシーフード・サラダ。

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手作りパスタ(ペンネ)の小エビと貝柱のクリームソース仕立て。

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魚スープで煮込んだリゾット。

どの料理も「普通でした」。それほどお腹が空いていなかった為かも知れませんが・・・。でも、シーフード・サラダの「蛸」はなかなか絶品でしたねぇ。そしてこの後も数日間、クロアチア滞在中に必ず蛸料理の注文は続くのです~。(タウリン補給です!)

イカやタコの栄養成分についてのHP↓

http://www.healthy-therapy.net/chole/ika-tako.html

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ドイツを超えた旅~Croatia編Ⅱ 指令①Splitに向かえ!

12月29日(Donnerstag)

この日も濃い霧に包まれたZagrebの朝。-3℃!フランクフルトよりも寒いsnow

娘には私のセーターをしっかり着こませて、私は「ついてます」のでたぶん大丈夫「かなぁ?」レンタカーで移動なので寒くはないねっ。

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次の街『Split/スプリット』まで距離にして410km。走行時間(迷わなければ)およそ4時間。「頑張りましょう~」car

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クロアチアの高速道路「走ります」

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やはり濃い霧が立ち込めてます。

それよりも・・・カーナビの反応がなんだか変!?

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「ナント」我が家のポータブルカーナビには、クロアチア国内の音声案内は不可!そういえば、チェコ旅行の時も使えなかった・・・

乗り物酔いを覚悟で「仕方ない!人間ナビゲーション」で頑張りますか~(頭トレーニング開始)

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霧も少し晴れて、遠くに高い(アルプス程ではないですが)山がそびえたっています。クロアチアは山が多く、平野は国土の20%ほどとか・・・

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長い長いトンネル~。そこを抜けると・・・

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突然雪景色から「一転」。思わず歓声「すご~ぃhappy02」カルスト地形が表れてなんだか不思議な感じ。カルスト台地といえば、我が故郷『平尾台』クロアチアに来て、まさか故郷を懐かしむなんて~。

そしてズーット上り坂だった道も緩やかにくだっていきます。気温も上昇中~「-3℃」で出発しましたがここでは「10℃」にまで!「どんどん暖かくな~れぇ」

娘:爆睡中sleepy

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この日は異動だけという、長いドライブから解放されスプリットの街外れのホテルに到着。波の音が心地よく聞こえ、眠気が・・・。

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